2026年10月17日
筋湯温泉と九重九湯 寒の地獄・宝泉寺・筌の口の歩みと八丁原の地熱
大分県九重町の筋湯温泉を入り口に、九重九湯から寒の地獄・宝泉寺・筌の口の温泉の歩みをたどります。冷泉のあぶりこみ、空也上人の伝承、川端康成の訪れ、湯でつながる八丁原地熱発電所も紹介します。
筋湯温泉(すじゆおんせん)は、大分県玖珠郡九重町湯坪の、標高約1,000mの山あいにある温泉地です。温泉街に共同浴場が集まり、高いところから湯が落ちる「うたせ湯」で知られます。
筋湯は、九重九湯のひとつに数えられます。九重九湯は、9つの温泉をまとめた呼び名です。ここでは筋湯と合わせて、冷たい鉱泉のわく寒の地獄、空也上人の伝承が残る宝泉寺、川端康成が訪れた筌の口を取り上げます。筋湯と湯でつながる八丁原地熱発電所にもふれます。
筋湯のうたせ湯と千年をこえる歩み
筋湯は、阿蘇くじゅう国立公園の中にある温泉地です。そのうたせ湯は、昔から「日本一のうたせ湯」とうたわれてきました。
筋湯の始まりは古く、958年(天徳2年)に湯が開かれた記録があります。この記録から、1,000年以上の歴史をもつ温泉地とされます。1684年(貞享元年)には、日田藩主から、温泉冥加金を納めるよう命じられた記録が残ります。冥加金は、商いなどを認められた見返りに、藩などへ納めたお金です。
温泉街は、1897年(明治30年)ごろと1949年(昭和24年)の2度の大火にあい、ほとんどが焼けました。いまの町並みは、終戦から間もないころの2度目の大火のあと、たいへんな努力を重ねて形づくられたものです。
2003年(平成15年)8月には、近くの八丁原地熱発電所がくみ上げた熱水の一部を、温泉として送る会社ができました。同じ年の12月から、筋湯への供給が始まりました。
八丁原地熱発電所のしくみと展示館
八丁原(はっちょうばる)地熱発電所は、九重町湯坪の、標高1,100mの高原にある地熱発電所です。八丁原発電所とも呼ばれます。くじゅう連山の地熱で熱くなった蒸気を、地下の井戸から取り出します。燃料は燃やさず、その蒸気の力でタービンを回して電気をつくります。
1号機は1977年(昭和52年)6月に、2号機は1990年(平成2年)6月に動き出しました。2基を合わせた出力は11万kWで、国内最大の地熱発電所とされます。発電所には展示館があり、地熱発電のしくみを映像やパネルで紹介しています。
寒の地獄の冷泉とあぶりこみ
寒の地獄温泉(かんのじごくおんせん)は、九重町田野の、くじゅう連山の登山口にある温泉です。わいているのは温かい湯ではなく、冷たいままの鉱泉で、冷泉と呼ばれます。冷泉は連山のふもとからわき出て、その量は毎分2,000リットルをこえるとされます。名前に「地獄」とありますが、別府の地獄めぐりの地獄とは別の場所です。寒の地獄のある飯田高原のことは、タデ原湿原の記事にまとめました。
冷泉につかったあと、暖房のきいた別の部屋で体を温める入り方は、「あぶりこみ」と呼ばれます。古くは「冷泉行進曲」という歌を歌いながら、冷泉に入ったといわれます。
開湯は、江戸時代の終わりの1849年(嘉永2年)です。けがをした猿が水につかる姿を猟師が見かけ、それから人もこの冷泉を使うようになったと伝わります。
宝泉寺の伝承と町田川のホタル
宝泉寺温泉(ほうせんじおんせん)は、九重町町田の、筑後川の支流・町田川のほとりにある温泉地です。初夏になると、温泉街を流れる町田川を、3種類のホタルが飛びかいます。宝泉寺温泉は、ホタルの舞う温泉地を後の世に残すため、「源泉かけ流し宣言」を出しました。
938年(天慶元年)、諸国をめぐっていた空也上人は、持っていた杖を大地に突き立てて去ったと伝わります。やがてその地に大杉が育ち、972年(天禄3年)の大地震のとき、根もとから湯がわき出たといわれます。
驚いた村人たちは、上人が宝の泉をさずけてくれたと考え、湯のほとりに寺を建てたといわれます。寺の名は平原山宝泉寺で、本尊には空也上人と大日如来をまつったと伝わります。宝泉寺という地名は、この寺にちなみます。
筌の口の湯小屋と川端康成
筌の口温泉(うけのくちおんせん)は、九重“夢”大吊橋に近い九重町田野にある温泉で、湯には濁りがあります。大吊橋については、九重“夢”大吊橋の記事にまとめました。
村人がこの湯に入っていたのは、正保年間(1644〜1647年)のころからです。温泉としての始まりは1728年(享保13年)で、田野の庄屋の徳右衛門が、ここに住まいを造って湯小屋を建てました。明治の中ごろには、牧場の創設や近くの開拓、硫黄の鉱山の始まりが重なり、その関係者でにぎわいました。旅館が建って商いを始めたのも、このころです。
1952年(昭和27年)には、作家の川端康成がこの地を訪れました。川端はのちに九重を舞台にした小説『波千鳥』を書き、未完のまま残しています。その作中では、この地の紅葉や山の眺めがたたえられています。
出かける前に
筋湯の大火からの歩みと、熱水でつながる八丁原地熱発電所から入り、寒の地獄の冷泉、宝泉寺と筌の口の始まりをたどりました。この記事は2026年10月に書きました。温泉や展示館の様子は変わることがあるので、出かける前に、九重町観光協会や、九電みらいエナジーの案内で確かめてください。
よくある質問
- 筋湯温泉はどこにある、どんな温泉地ですか。
- 大分県九重町湯坪の、標高約1,000mの山あいにある温泉地です。昔から、うたせ湯で知られてきました。いまの町並みは、1949年(昭和24年)の大火のあとに形づくられました。
- 寒の地獄温泉の「あぶりこみ」とは何ですか。
- 冷泉につかったあと、暖房のきいた別の部屋で体を温める入り方です。寒の地獄にわくのは温かい湯ではなく、冷たいままの鉱泉です。
- 宝泉寺温泉の名前の由来は何ですか。
- わき出た湯を、空也上人がさずけた宝の泉と考えた村人が、ほとりに寺を建てたと伝わります。宝泉寺という地名は、この寺にちなみます。
- 八丁原地熱発電所と筋湯温泉には、どんなつながりがありますか。
- 2003年(平成15年)8月に、発電所がくみ上げた熱水の一部を、温泉として近くの温泉地へ送る会社ができました。同じ年の12月から、筋湯への供給が始まりました。




