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別府地獄めぐり 海地獄の青・血の池地獄の赤と名所になった歩み

別府市の鉄輪温泉と柴石温泉にある地獄を、湯の色や噴き出し方ごとに紹介します。国の名勝になった海地獄・白池地獄・血の池地獄・龍巻地獄と、ワニ地獄と呼ばれる鬼山地獄、遊覧バスで地獄めぐりが名所になった歩みもまとめました。

別府地獄めぐりは、大分県別府市の鉄輪(かんなわ)温泉と柴石温泉で、色や形のちがう「地獄」を見てまわる観光です。別府でいう地獄は、熱い湯や泥が湧き出す源泉のうち、つかるよりも見ることを目当てにしたものです。コバルトブルーの湯、朱色の池、灰色の熱泥、間をおいて噴き上がる間欠泉と、地獄ごとに姿がちがいます。海地獄やかまど地獄などは鉄輪温泉に、血の池地獄と龍巻地獄は柴石温泉にあります。別府市内には、ここで取り上げるほかにも多くの地獄があります。

青い海地獄と白くにごる白池地獄

海地獄と白池地獄は、どちらも鉄輪温泉にある地獄で、湯の色に特徴があります。この2つは、柴石温泉の血の池地獄・龍巻地獄とともに、国の名勝「別府の地獄」に指定されています。

海地獄

海地獄は、コバルトブルーの湯で知られる地獄です。その青みがかった藍色は、与謝野晶子の作品にも詠まれました。湯が青いのは硫酸鉄のためで、温度は98度、湯の通り道までの深さは200mあります。

海地獄は、鶴見岳の噴火で生まれたといわれます。別府の地獄が観光の施設になった始まりは、1910年(明治43年)に海地獄が見物の施設を整えたこととされます。戦前は、藤の花でも知られていました。

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白池地獄

白池地獄は、白くにごった湯の池から名づけられた地獄です。1931年(昭和6年)に掘られて噴き出したころは、「玖倍理地獄」と呼ばれていました。いまの名に改められたのは、園地を整えるときです。『豊後国風土記』に記された、鉄輪の地獄地帯の古い呼び名「玖倍理(くべり)湯の井」と、取りちがえないためでした。

池の湯は、噴き出すときは透明です。外の空気にふれて温度が下がるうちに、白くにごります。

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朱色の血の池地獄と間欠泉の龍巻地獄

柴石温泉にある血の池地獄と龍巻地獄は、鉄輪温泉からやや離れた、別府市野田にあります。柴石温泉そのものの歩みは、竹瓦温泉と別府の市営温泉の記事で取り上げています。

血の池地獄

血の池地獄は、柴石温泉にある朱色の池の地獄です。池が赤いのは酸化鉄などのためで、その色が名前の由来になりました。1927年(昭和2年)には、泥を空高く噴き上げる、大きな爆発を起こしたといわれます。

この地獄は、奈良時代の『豊後国風土記』に「赤湯泉」として記されています。人の手で掘って生まれた地獄とちがい、日本でいちばん古い天然の地獄とされます。高濱虚子は、その赤い色を作品に詠みました。

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龍巻地獄

龍巻地獄は、柴石温泉にある、間をおいて湯を噴き上げる間欠泉です。噴き出す間隔は雨の量によって変わり、アメリカのイエローストーンなどの間欠泉にくらべて、短いとされます。

噴き上がった湯は、圧力が下がって気化し、すぐに100度以下になります。もとは、圧力の高い地下の深いところで、摂氏150度にもなっていた湯です。勢いが強いため、噴出口の上と横は、見物する人を守る石の天井と壁で囲われています。

龍巻地獄は、1923年(大正12年)に掘られて生まれました。1967年(昭和42年)には、別府市の天然記念物に指定されました。

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鉄輪の鬼石坊主地獄・かまど地獄・鬼山地獄

鉄輪温泉には、名勝の指定とは別に、熱泥やワニで知られる地獄もあります。地獄が集まる鉄輪の町並みと蒸し湯は、鉄輪温泉の記事で取り上げています。

鬼石坊主地獄

鬼石坊主地獄では、灰色の熱泥があちこちで噴き上がり、坊主頭のように丸くふくらみます。この姿が、「坊主」の名の由来です。

鬼石坊主地獄は、もとは別々だった鬼石地獄と新坊主地獄を、ひとつの園地にまとめたものです。「鬼石」は、緑色がかった鬼石地獄の、最初の持ち主の屋号からとられた名です。

坊主頭のような熱泥は、1912年(大正元年)に噴き出した新坊主地獄のものです。別府市小倉の坊主地獄よりあとに出たので、「新」が付きました。園地は長く閉じていましたが、2002年(平成14年)に、約40年ぶりに再び開きました。

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かまど地獄

かまど地獄には、「地獄の一丁目」から「六丁目」まで名づけられた地獄が並びます。ほかの地獄を一か所に集めたような顔ぶれで、気温や天候によって色の変わる地獄もあります。

かまど地獄は、もとは柴石温泉の近くにありました。八幡竈門神社(はちまんかまどじんじゃ)の大祭に供える御飯を、移る前の地獄で炊いていたことが、名の由来といわれます。その地獄は湯が枯れて閉じられ、かまど地獄は鉄輪のいまの場所へ移りました。

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鬼山地獄

鬼山地獄は、ワニ地獄の別名をもつ地獄です。緑白色の熱湯をたたえた池の熱を使い、ワニを飼う園地が整えられました。飼育が始まったのは1923年(大正12年)で、温泉を使ったワニの飼育は、これが日本で初めてとされます。

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地獄めぐりが名所になるまで

別府の地獄は、8世紀の『豊後国風土記』をはじめ、17〜18世紀の文献にも記されています。「地獄」の呼び名がいつ始まったのかは、はっきりしていません。1694年(元禄7年)に貝原益軒が書いた『豊国紀行』では、あちこちに「地獄」の語が出てきます。

湯治の客が地獄をのぞきに来るようになったのは、温泉付きの別荘地が開かれてからといわれます。湯を送る源泉として地獄が整えられ、人が安全に近づけるようになったためです。それまでの地獄は、やっかいものとして、だれも手をつけない場所でした。

大正から昭和の初めにかけては、小さな噴気の穴を掘って大きな噴き出しを誘い、新しい地獄が次々に生まれました。龍巻地獄や白池地獄も、このころに掘られて生まれた地獄です。

1928年(昭和3年)1月、油屋熊八が亀の井自動車をつくり、地獄をまわる遊覧バスを走らせました。バスには若い女性のガイドが乗り、七五調で名所を案内しました。これが、全国の女性バスガイドの始まりとされます。地獄を見てまわる遊覧は、別府の景勝地をめぐる観光の中心になりました。

国の名勝「別府の地獄」の指定は、2009年(平成21年)7月23日です。独特でさまざまな色や形で湧き出す泉源として、眺めのうえでも、名所としても、学術のうえでも、価値が高いとされました。

出かける前に

海地獄と白池地獄、血の池地獄と龍巻地獄のあと、鉄輪の鬼石坊主地獄・かまど地獄・鬼山地獄を取り上げました。最後に、地獄が名所になるまでの歩みをたどりました。この記事は2026年10月に書きました。園内のようすや見学の決まりは変わることがあるので、出かける前に別府市や各地獄の案内で確かめてください。

よくある質問

別府の地獄めぐりでいう「地獄」とは何ですか。
熱い湯や泥が湧き出す源泉のうち、つかるよりも見ることを目当てにしたものです。コバルトブルーの湯や朱色の池、間欠泉など、地獄ごとに姿がちがいます。
名勝「別府の地獄」に指定されているのは、どの地獄ですか。
海地獄・血の池地獄・白池地獄・龍巻地獄です。国の名勝に指定されたのは、2009年(平成21年)7月23日です。
海地獄の湯はなぜ青いのですか。
硫酸鉄のためです。見た目は青くても、湯の温度は98度あります。
鬼山地獄がワニ地獄と呼ばれるのはなぜですか。
池の熱湯の熱を使って、ワニを飼う園地が整えられたためです。飼育は1923年(大正12年)に始まり、温泉を使ったワニの飼育として日本で初めてとされます。

出典

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