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竹瓦温泉と別府の市営温泉 唐破風の建物と不老泉・浜田温泉の歩み

別府市元町の竹瓦温泉を中心に、別府市が営む温泉の建物の移り変わりをたどります。竹瓦の名の由来と港町の歩み、明治の鬼瓦を生かして建て替えた不老泉、旧浴場を復元した浜田温泉資料館、浜脇・柴石・上人ヶ浜の湯を紹介します。

竹瓦温泉(たけがわらおんせん)は、大分県別府市元町にある市営の共同温泉です。木造2階建ての建物は、正面に唐破風(からはふ)の屋根をかまえています。唐破風は、まん中が丸くふくらみ、両はしがそり上がった曲線の屋根の形です。別府市が営むほかの温泉には、古い部材や造りを受け継いで建て替えた湯もあります。

唐破風の玄関をもつ木造2階建て

いまの建物は1938年(昭和13年)に建ち、2004年(平成16年)6月9日に国の登録有形文化財になりました。変化に富んだ外観と正面の唐破風の玄関をもち、温泉街の象徴とされる建物です。2009年(平成21年)2月6日には、近代化産業遺産にも認定されました。近代化産業遺産は、産業の近代化の歩みを伝える建物などを、経済産業省が認定したものです。

唐破風の奥には、形のちがう屋根がいくつも組み合わさっています。まん中は2階建ての棟で、東側には男湯と女湯の浴室が平屋で張り出しています。西側の寄棟造(よせむねづくり)の平屋は、砂湯の棟です。砂湯は、温泉で温めた砂に体をうずめる風呂をいいます。瓦ぶきの建物で、建築面積は712平方メートルです。

1階には天井の高いホールがあり、昭和初期のおもむきを残しています。休憩所と脱衣所も1階です。浴室は脱衣所から階段で下りる掘り下げ式で、別府に古くから伝わる造りです。2階は格子天井の90畳の大広間で、かつては湯治客の休憩室として使われました。

竹瓦の名と港町の歩み

はじめの浴場は竹ぶきの屋根で、建て替えのあとに瓦ぶきになったと伝わります。竹瓦という名は、この屋根の移り変わりからついたといわれます。

創設は1879年(明治12年)で、海岸近くにわく湯のために、地元の漁師が建てた簡素な小屋が始まりと伝えられます。これより前の1871年(明治4年)5月、流川の河口に旧別府港(楠港)ができ、別府温泉の町は急に大きくなりました。港のすぐ近くにあったこともあって、竹瓦には湯治客がおおぜい訪れるようになりました。1902年(明治35年)と1913年(大正2年)に建て替えを重ねて2階建てになり、1938年に建ったのがいまの建物です。

温泉の前の通りと流川通りのあいだには、竹瓦小路というアーケードがあります。長さは約60mで、いまに残るアーケードでは日本最古とされます。別府の温泉まつりも、竹瓦の界隈を中心に開かれてきました。

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不老泉の建て替えと明治の鬼瓦

不老泉(ふろうせん)は、別府市中央町にある市営の共同温泉です。別府の市街の中心にあり、古くは「不老湯」「田中ノ湯」「田の湯」と呼ばれました。

いまの建物は、2014年(平成26年)8月に開いた鉄筋コンクリート造の2階建てです。1階の浴槽は、広さが市営温泉でいちばんとされます。建て替えのときには、1902年(明治35年)の改築のころの鬼瓦(屋根の棟の端を飾る瓦)が、壁や坪庭に置かれました。

浴場は、明治に入ったころからあったといわれます。1902年の改築で3階建てになり、特等・上等・並等の浴槽や湯滝、休憩所、商品陳列所をそなえた大きな施設になりました。1920年(大正9年)11月7日には、皇太子だった昭和天皇がこの湯を訪れています。

1957年(昭和32年)の改築では、1階を温泉、2階を地区公民館、3階を集会室にしました。湯の建物に、地域の人が集まる場所の役割をもたせたもので、いまの建物の2階にも集会室があります。

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浜田温泉と旧浴場の資料館

浜田温泉は、別府市亀川浜田町にある亀川温泉の共同温泉で、古くは「浜田鉱泉」とも呼ばれました。道をはさんだ向かいには、旧浴場を復元した浜田温泉資料館があります。

旧浴場は、1935年(昭和10年)に建ちました。設計は、別府市の技師だった池田三比古です。2002年(平成14年)4月には、旧浴場の向かいに新しい浜田温泉が建ちました。唐破風をそなえるなど、旧浴場にならった鉄筋コンクリートの平屋で、浴場と脱衣所がひと続きの、昔ながらの共同浴場です。

旧浴場はそのあと取り壊されましたが、そのときに設計図を起こし、部材の一部を残していました。その部材と寄付をもとに、2005年(平成17年)に資料館として復元されました。

資料館は木造平屋で、屋根は銅板ぶきの入母屋造(いりもやづくり)です。正面の玄関は、竹瓦と同じ唐破風です。2006年(平成18年)8月3日に、国の登録有形文化財になりました。

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浜脇・柴石・上人ヶ浜の湯

竹瓦ができる前から、湯が知られていた土地もあります。浜脇・柴石・上人ヶ浜の湯は、平成から令和にかけて、いまの施設に新しくなりました。

湯都ピア浜脇

湯都ピア浜脇は、別府市浜脇にある多目的温泉保養館です。手本はヨーロッパのクアハウスで、入浴と運動を体力に合わせて組み合わせる施設です。

浜脇の名は、浜から温泉がわき出るようすからついたと伝わります。鉄輪(かんなわ)と並んで、別府温泉の発祥の地と呼ばれる土地です。昭和初期に、浜脇東温泉と浜脇西温泉がひとつになりました。いまの湯都ピア浜脇と、共同温泉の浜脇温泉の建物は、1991年(平成3年)の再開発で建ったものです。

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柴石温泉

柴石温泉は、別府市野田にある市営の温泉です。江戸時代に柴の化石が見つかったことから、柴石と呼ばれるようになったと伝わります。

平安時代には湯治場として使われていたとされ、895年に醍醐天皇が、1044年に後冷泉天皇が湯治に訪れたと伝えられます。いまの市営の温泉は、1997年(平成9年)4月に新しくなって開きました。

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別府海浜砂湯

別府海浜砂湯は、別府市上人ヶ浜町の上人ヶ浜公園の中にある砂湯です。この浜の名の由来になった、一遍上人が上陸したという言い伝えは、上人ヶ浜公園を取り上げた記事にまとめました。

上人ヶ浜のある亀川の海岸では、わき出る温泉を使った天然の砂湯が名物でした。別府の海岸でこうした砂湯が始まったのは、1532年とされます。1986年(昭和61年)には市営の砂湯が開き、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで2つ星の評価を受けました。この市営の施設は、2023年(令和5年)3月31日で廃止されました。跡地には民間の事業者が新しい砂湯を整え、2025年に開きました。

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出かける前に

竹瓦の建物と名の由来から入り、不老泉と浜田温泉の建て替えの歩み、浜脇・柴石・上人ヶ浜の湯の成り立ちをたどりました。この記事は2026年10月に書きました。共同温泉の建物は、改修や建て替えで変わることがあるので、出かける前に別府市や各施設の案内で確かめてください。

よくある質問

竹瓦温泉の名前の由来は何ですか。
はじめの浴場は竹ぶきの屋根で、建て替えのあとに瓦ぶきになったことからついたと伝わります。
竹瓦温泉の建物は文化財ですか。
1938年(昭和13年)に建った木造2階建ての建物が、2004年(平成16年)6月9日に国の登録有形文化財になりました。2009年(平成21年)2月6日には、近代化産業遺産にも認定されています。
浜田温泉資料館はどんな建物ですか。
1935年(昭和10年)に建った浜田温泉の旧浴場を、残した部材で2005年(平成17年)に建て直した資料館です。正面の玄関は唐破風で、2006年(平成18年)8月3日に国の登録有形文化財になりました。
不老泉の鬼瓦はいつのものですか。
1902年(明治35年)の改築のころの鬼瓦です。2014年(平成26年)の建て替えのときに、新しい建物の壁や坪庭に置かれました。

出典

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