
2026年10月17日
湯平温泉と塚原温泉 石畳の坂が続く温泉街と伽藍岳の泉源地帯
由布市湯布院町の湯平温泉と塚原温泉を、2004年に日本温泉地域資産に選ばれた石畳の坂・飲泉の文化・泉源地帯からたどります。江戸時代に石畳が敷かれたわけと湯治場の歩み、伽藍岳の噴気と湯の性質をまとめました。
湯平温泉(ゆのひらおんせん)は、由布市湯布院町湯平の、花合野川(かごのがわ)の渓谷沿いにある温泉地です。温泉街には、江戸時代に敷かれた石畳の坂道が続きます。
同じ湯布院町の塚原には、伽藍岳の中腹から湧く塚原温泉(つかはらおんせん)があります。その裏山には、湯気や熱いガスが地面から噴き出す「地獄」と呼ばれる一帯が広がります。
湯平の石畳と飲泉の文化、塚原の泉源地帯は、2004年に日本温泉地域学会の「日本温泉地域資産」にそろって選ばれました。二つの温泉は、由布市の由布院・湯平・塚原・庄内・挾間の5つの地域の温泉からなる「湯布院温泉郷」に含まれます。湯布院温泉郷は、国民保養温泉地(国が指定する温泉の保養地)の一つです。
湯平温泉の石畳の坂
石畳の坂道は温泉街の中央を通り、約500mにわたって続きます。坂に沿って流れる花合野川の石が、この石畳に使われました。
石畳が築かれたのは、約300年前の江戸時代、享保年間です。そのころの湯平は土石流(山津波)に襲われ、その影響で疫病が広がりました。惣庄屋(いくつもの村をまとめる役)だった工藤三助は、村民を率いて石を敷きました。病魔を退け、町を立て直すことを願っての工事だったとされます。石畳の坂を軸に、いまのような温泉街の形が整ったのは、江戸時代の後期です。
日本温泉地域資産では、この石畳の町並みが「伝統的石畳街」として選ばれました。
湯治場として栄えた歩み
湯平が湯治場(何日もとどまって湯につかる温泉地)として開かれたのは、およそ800年前の鎌倉時代といわれます。湯に入る猿を見て、木こりが温泉を見つけたと伝わります。室町時代に温泉があったことは、史料で確かめられています。江戸時代に湯平が知られた温泉地だったことは、当時の『豊後国志』(豊後の国について記した書物)の記録からわかります。
1912年(明治45年)4月20日の大火では、旅館や民家のほとんどが焼けました。火事のすぐあとから、共同浴場や旅館、商店、発電所が建て直されました。昭和の初めには、療養のための温泉地として、九州で別府温泉に次ぐ数の客を集めたとされます。温泉番付(温泉を相撲の番付のように並べた表)で、「西の横綱」とされたこともあります。
湯平には詩人の野口雨情が訪れ、1930年(昭和5年)には俳人の種田山頭火も訪れました。1982年12月公開の映画「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」(シリーズ第30作)では、湯平がロケ地になりました。
湯平の飲泉文化
湯平は、湯を飲む「飲泉」の文化で知られた温泉地です。温泉街には、飲泉場も設けられていました。湯量が減ったことと衛生上の都合から、飲泉はおこなわれなくなりました。この文化も、日本温泉地域資産に「伝統的飲泉文化」として選ばれました。
伽藍岳の中腹に湧く塚原温泉
湯が湧くのは、標高1,045mの伽藍岳の中腹です。山の西のふもとには、由布岳の北側に広がる塚原高原があります。高原の牧場や野焼きの草原は、由布岳と塚原高原の記事で取り上げています。
この温泉が開かれたのは、平安時代といわれます。大正時代には、塚原も含む速見郡の温泉からなる「別府十湯」の一つでした。1924年(大正13年)ごろまでに、十湯からは外れています。国民保養温泉地の指定に塚原が加わったのは、2019年10月4日です。
伽藍岳の噴気と塚原の泉源地帯
源泉は、温泉の裏山に広がる地獄地帯にあります。降った雨がこの地帯で温められて湯になるため、湯の量や成分の濃さは、雨の量と深くかかわるとされます。日本温泉地域資産では、この一帯が「泉源地帯」として選ばれました。
伽藍岳は、鶴見岳から連なる山々の西の端にある活火山です。山には、120℃以上の蒸気を噴く噴気孔や、熱い泥を噴き上げる泥火山があります。温泉の近く、標高800mのあたりには、噴気の上がる火口があります。火口のまわりは、シリカ(珪酸)を露天掘り(地表から掘り出すこと)した鉱山の跡です。1966年ごろには、珪酸白土と呼ばれる白い土が掘られていました。
塚原の源泉は緑色を帯びた、酸性の強い湯です。鉄イオンの量は全国の温泉で1位、酸性の強さとアルミニウムイオンの量は、2位とされます。この湯では、石けんが泡立たないことも知られています。
出かける前に
湯平の石畳と湯治場の歩み、飲泉の文化に続いて、伽藍岳の中腹に湧く塚原の湯と、その泉源地帯を取り上げました。この記事は2026年10月に書きました。温泉街のようすや施設の利用は変わることがあるので、出かける前に由布市の観光の案内で確かめてください。
よくある質問
- 湯平温泉の石畳は、いつ、だれが造りましたか。
- 約300年前の江戸時代、享保年間に築かれました。土石流のあとに疫病が広がり、惣庄屋の工藤三助が村民を率いて、花合野川の石を敷いたとされます。
- 湯平温泉の「伝統的飲泉文化」とは何ですか。
- 湯を飲む「飲泉」の文化のことで、温泉街には飲泉場も設けられていました。2004年に、日本温泉地域学会の「日本温泉地域資産」に選ばれました。
- 塚原温泉はどこにあり、どんな湯ですか。
- 由布市湯布院町塚原の、伽藍岳の中腹に湧く温泉です。源泉は緑色を帯びた酸性の強い湯で、鉄イオンの量は全国の温泉で1位とされます。
- 湯平温泉と塚原温泉は、湯布院温泉郷に入っていますか。
- どちらも、由布市の5つの地域の温泉からなる「湯布院温泉郷」に含まれ、国民保養温泉地の一つです。塚原がこの指定に加わったのは、2019年10月4日です。




