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赤や黄に色づいた木々が池のほとりを囲み、水面に映る

用作公園と普光寺の磨崖仏 豊後大野市朝地町の紅葉の庭と不動三尊

江戸時代に岡藩の家老が別邸とした庭を受けつぐ、豊後大野市の用作公園の紅葉と心字池を紹介します。同じ朝地町上尾塚の普光寺に残る、阿蘇の火砕流の岩に彫られた不動三尊の磨崖仏と、寺の名の由来もまとめました。

用作公園(ゆうじゃくこうえん)は、大分県豊後大野市朝地町の上尾塚にある公園です。池のまわりをモミジやカエデが囲む庭で、秋には木々が色づきます。同じ上尾塚の普光寺には、不動明王を中心とする磨崖仏が、境内の岩壁に彫られています。磨崖仏は、自然の岩に直接彫った仏像のことです。二つの場所は、どちらも江戸時代の岡藩とゆかりがあります。庭は家老が別邸として整え、寺の名は藩主が改めたといわれます。

用作公園の紅葉と心字池

庭の中心には、北側の心字池と南側の丹字池という、二つの池があります。心字池は、「心」の字をかたどった形の池をいいます。池をとりまいて、モミジやカエデなど、紅葉する木が数多く植えられています。

色づいたモミジの枝の間から、木々に囲まれた池が見える
池のほとりで色づくモミジやカエデ

庭には、カエデとともに松も多く植えられました。二つの池は、田だったころから湧き水の多かったこの土地を生かして、つくられたものです。秋に木々が色づく庭は、大分県を代表する紅葉の名所とされます。九州オルレの奥豊後コースでは、この庭と普光寺が、どちらも見どころに数えられています。九州オルレは、九州の各地に設けられた、歩いてめぐる旅のコースです。

岡藩の家老が整えた別邸の庭

「用作」の名は、鎌倉時代にこの地の地頭が持っていた、用作田という田に由来します。地頭は、鎌倉幕府が各地に置いた、土地を治める役のことです。

書院造りの屋敷を建てて庭を整えたのは、岡藩の家老の中川平右衛門長伸です。書院造りは、床の間などを備えた、武家の屋敷の造りをいいます。1664年(寛文4年)、長伸は3代藩主の中川久清から、この地を別邸の地として与えられました。

青空の下、紅葉の始まった木々が池を囲み、水面に映り込む
木々に囲まれた池の広がり

この地は、岡藩の玄関口として、客をもてなす場所の役目も果たしました。訪れた客には、田能村竹田や頼山陽ら、詩や書画にすぐれた文人も多くいました。藩主の中川氏も、参勤交代の行き帰りなどに、たびたび立ち寄っています。この地が、岡藩の参勤交代の道すじにあったからです。

1880年(明治13年)には、この地を吉良家が譲り受けました。家老の庭はのちに公園となり、いまに受けつがれています。

大きな木の枝ごしに、色づいた木々と池が広がる
枝ごしに見る池と庭

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普光寺の磨崖仏は不動三尊

普光寺(ふこうじ)は、朝地町上尾塚にある高野山真言宗の寺で、本尊は大日如来です。アジサイの名所としても知られ、「アジサイ寺」とも呼ばれます。

不動明王の両わきに、矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)を置いた形を、不動三尊と呼びます。境内の大きな岩壁に彫られた普光寺の磨崖仏は、この不動三尊です。

普光寺の磨崖仏は、国東半島の熊野磨崖仏とともに、日本最大級の磨崖仏とされます。1957年(昭和32年)3月26日には、普光寺磨崖仏の名で大分県の史跡に指定されました。

磨崖仏が彫られた岩は、阿蘇の火砕流が固まってできた岩(溶結凝灰岩)です。普光寺の岩をつくったのは、阿蘇の火砕流のうち、約12万年前に起きた3回目のものです。豊後大野の磨崖仏の多くは、それより新しい、約9万年前の4回目の火砕流の岩に彫られています。この磨崖仏は、大地の成り立ちを伝える場所として、おおいた豊後大野ジオパークでも、見どころの一つに挙げられています。火砕流がつくった岩と滝のことは、原尻の滝の記事で取り上げています。

筑紫尾寺から普光寺へ

いまの普光寺の名は、岡藩3代藩主の中川久清が改めたものといわれます。もとの名は筑紫尾寺で、「筑紫尾」が「畜生」とも聞こえることが、名を改めたわけとされます。用作の地を家老に与えたのと、同じ藩主です。

古い名は、山号をつけて普光山筑紫尾寺といいました。山号は、寺に付ける「〇〇山」の名のことで、いまの山号は筑紫山です。

江戸時代、岡藩主の中川氏が寺をあつく信仰したのは、寺が岡城の鬼門にあたるためとされます。鬼門は北東の方角を指し、災いが入りこむ方角として避けられてきました。藩主の信仰を受けて、寺には土地も寄進されています。岡城と岡藩の歩みは、岡城跡の記事にまとめています。

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出かける前に

前半では、二つの池をとりまく紅葉と、岡藩の家老が整えた庭の歩みを取り上げました。後半では、阿蘇の火砕流の岩に彫られた普光寺の不動三尊と、寺の名の移り変わりをたどりました。この記事は2026年10月に書きました。紅葉やアジサイの時期は変わることがあるので、出かける前に、豊後大野市観光協会の案内で確かめてください。

よくある質問

用作公園の読み方と名前の由来を教えてください。
「ゆうじゃくこうえん」と読みます。名の「用作」は、鎌倉時代にこの地にあった用作田という田に由来します。
用作公園はどんな庭ですか。
岡藩の家老の中川平右衛門長伸が、1664年に別邸の地として与えられ、屋敷とともに整えた庭です。心字池と丹字池の二つの池を中心に、モミジやカエデなど、紅葉する木が数多く植えられています。
豊後大野の普光寺の磨崖仏には何が彫られていますか。
不動明王を中心に、矜羯羅童子と制多迦童子を両わきに置いた不動三尊です。普光寺磨崖仏の名で、大分県の史跡に指定されています。
普光寺の磨崖仏はどんな岩に彫られていますか。
阿蘇の火砕流が固まってできた溶結凝灰岩です。約12万年前の3回目の火砕流でできた岩で、豊後大野の磨崖仏の多くが彫られた、約9万年前の岩より古いものです。

出典

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