2026年10月18日
宇佐神宮 八幡社の総本宮に建ち並ぶ国宝の本殿3棟と八幡造・弥勒寺の跡
大分県宇佐市の宇佐神宮で、小椋山の上に並ぶ国宝の本殿3棟と八幡造の形、菱形池や宇佐鳥居、呉橋のある境内、社の成り立ちと八幡信仰の広がり、弥勒寺の跡に残る神仏習合の歩みをたどります。
宇佐神宮(うさじんぐう)は、大分県宇佐市の南宇佐にある、全国の八幡社の総本宮です。宇佐八幡とも呼ばれ、境内は原生林に囲まれています。小高い小椋山(亀山)の上に上宮が、山のふもとに下宮があります。小椋山は周防灘に面した小さな平野の奥にあり、神宮の南には御許山(おもとさん)がそびえます。上宮に並ぶ八幡造の本殿3棟は国宝で、境内は国の史跡に指定されています。
上宮に並ぶ三つの御殿
上宮では、西から一之御殿・二之御殿・三之御殿の順に、本殿の3棟が並びます。一之御殿にまつられているのは、応神天皇の御神霊とされる八幡大神(はちまんおおかみ)です。まん中の二之御殿には比売大神(ひめのおおかみ)、東の三之御殿には神功皇后(じんぐうこうごう)がまつられています。下宮の主祭神も、上宮と同じです。
社の始まりは、725年(神亀2年)に一之御殿が建てられたことと伝わります。三之御殿が823年(弘仁14年)に造られて、本殿の3棟がそろったと伝えられています。
国宝の本殿と八幡造
いまの本殿は、1855年(安政2年)に造営が始まった江戸時代末の建物ですが、八幡造の古い形をよく残しています。本殿は1907年(明治40年)5月27日に国の指定を受け、1952年(昭和27年)11月22日に国宝になりました。
八幡造の御殿は、奥の内院と手前の外院という、前後に並ぶ二つの建物でできています。神の座が設けられるのは内院ですが、外院にも御倚子と呼ぶいすを置くので、外院も神殿とみなされます。
間取りで見ると、御殿は正面三間・奥行き四間の一つの建物のようです。ここでの間は、柱と柱のあいだを数える単位です。一つに見えるのは、二つの建物のあいだが「造合の間」として内側に取りこまれているためです。内院と外院は軒が接するほど近く、接するところには金銅の樋がわたされています。内院の床は、ひと続きになった外院と造合の間の床より、一段高く張られています。
一之御殿では、内院も外院も、屋根は檜皮葺(ヒノキの皮で葺いた屋根)で、内院は切妻造(本を伏せたような形)です。建物のまわりには高欄(手すり)つきの縁がめぐり、外院の正面のまん中に階段がつきます。
境内の菱形池と宇佐鳥居
呉橋(くれはし)や神橋、能楽殿も、境内に残る歴史を伝える建物です。境内を流れる寄藻川は、御許山に源を発する川です。菱形池は、神池とされています。
内郭(いちばん内側の囲い)の南の正門は南中楼門といい、勅使門とも呼ばれます。西大門の前に立つ宇佐鳥居は、木でつくられた鳥居です。柱の頭に台輪と呼ぶ丸い台をのせ、横木のあいだに、額を掛ける額束を持たない形をしています。宇佐に古くから伝わる鳥居の形式とされます。
八幡信仰の始まりと広がり
二之御殿の比売大神は、御許山に降り立ったと伝わる神です。御許山は神殿を持たず、山頂の三つの巨石を磐座(いわくら)としてきました。磐座は、神の宿る岩のことです。本来の祭神は八幡神と比売大神の二つで、二つの信仰が合わさって、社が生まれたというのが通説です。その説では、八幡信仰を持ちこんだのは、辛嶋勝(からしまのすぐり)や大神朝臣とされます。比売大神は、土地の古い豪族の宇佐氏がまつってきたといわれます。
八幡神をまつる社の場所は、たびたび移りました。そこには、古くから三つの氏族がこの社をまつってきたことが、関わっていると考えられています。小椋山へ迎えられたのは神亀・天平年間で、その前には鷹居社(たかいしゃ)や小山田社などの社地を経たといわれます。天平神護年間(765〜767年)にはいったん小椋山を離れ、782年(延暦元年)に戻ったと伝わります。
宇佐の社は、国の大きな動きに関わるほど力をつけました。その足場が固まったのは、天平年間に宇佐宮(この社の古くからの呼び名)と弥勒寺がいまの地にそろったときです。769年(神護景雲3年)の宇佐八幡宮神託事件(道鏡事件)では、皇位の継承にまで関わりました。古代には伊勢神宮とともに、皇室の祖先をまつる「二所宗廟」として扱われたとされます。八幡神は鎌倉の鶴ヶ岡、京都の石清水、奈良の手向山にも迎えられ、中世には八幡信仰が全国に広がりました。
弥勒寺の跡と史跡の境内
宇佐氏も仏教を取り入れ、天平年間には、法蓮が八幡神の神宮寺として弥勒寺を建てました。神宮寺は、神社に付属して置かれた寺のことです。神と仏をあわせてまつる神仏習合のもとで、神仏分離の前は、社と寺が一体の「宇佐八幡宮弥勒寺」と呼ばれていました。
弥勒寺は廃仏毀釈(寺や仏像を壊した動き)で取り壊されましたが、塔や金堂、東門の礎石が残っています。仏前で打ち鳴らす孔雀文磬(くじゃくもんけい)は弥勒寺に伝わったもので、1209年(承元3年)の銘をもつ国宝です。平安時代には、宇佐の社は弥勒寺とともに、荘園の領主としても大きな力をもったとされます。豊後高田市の田染荘も、宇佐の社の荘園の一つでした。
宮迫(みやさこ)には、坊(僧の住まい)の敷地や石垣と、坊の地割りのもとになった三道(三本の道)が残ります。宇佐宮の南大門に続くこの一帯は、弥勒寺の社僧(社に仕えた僧)を出した26の坊の跡地です。
御許山には、坊の跡の石垣や社僧の墓地が多く残ります。延喜年間に正覚寺が建ち、のちに6つの坊ができた山です。正覚寺は、国東半島の修験(山で修行する信仰)の聖地、六郷満山の奥の院として栄えました。六郷満山の寺と仏や田染荘の歩みは、田染荘の記事で紹介しています。
境内は1986年(昭和61年)2月25日に、国の史跡に指定されました。宇佐宮・弥勒寺・大尾山・御許山・宮迫の遺跡が一体として残り、八幡信仰の歩みを考えるうえで貴重とされたためです。大尾山は、境内の東にある山です。宇佐宮の社殿の並びは、応永古図と呼ばれる古い絵図や、江戸時代の絵図に描かれた配置と一致します。
出かける前に
上宮に並ぶ三つの御殿と八幡造、菱形池や宇佐鳥居のある境内、八幡信仰と弥勒寺の歩みをたどりました。この記事は2026年10月に書きました。境内の建物のようすは変わることがあるので、出かける前に宇佐神宮の案内で確かめてください。
よくある質問
- 宇佐神宮にまつられている神は何ですか。
- 一之御殿に八幡大神(応神天皇)、二之御殿に比売大神、三之御殿に神功皇后がまつられています。3棟のまん中にあたるのは、比売大神の二之御殿です。
- 八幡造とはどんな形ですか。
- 奥の内院と手前の外院の二つの建物を前後に連ね、そのあいだを造合の間として内側に取りこんだ形です。外院にも御倚子が置かれるので、外院も神殿とみなされます。
- 宇佐神宮の国宝と国の史跡は何ですか。
- 上宮の本殿3棟が国宝で、1952年(昭和27年)11月22日に指定されました。弥勒寺の跡や御許山・宮迫を含む境内は、1986年(昭和61年)2月25日に国の史跡に指定されています。
- 宇佐神宮はいつ始まりましたか。
- 725年(神亀2年)に、八幡大神をまつる一之御殿が建てられたのが始まりと伝わります。社地はその後も移り、782年(延暦元年)に小椋山へ戻ったとされます。




