
2026年10月18日
田染荘 中世の田と六郷満山の富貴寺大堂・熊野磨崖仏・真木大堂
大分県豊後高田市の田染小崎には、宇佐神宮の荘園だったころから受け継がれた田と村の形が残ります。同じ田染にある国宝の富貴寺大堂、岩壁の熊野磨崖仏、仏像9体を納める真木大堂を、六郷満山の歩みとあわせて紹介します。
大分県豊後高田市の田染小崎では、谷あいの土地が細かく区切られ、形のさまざまな田が広がります。ここは、宇佐神宮の荘園だった田染荘(たしぶのしょう)の名残の地です。同じ田染の地区には、国宝の大堂をもつ富貴寺、岩壁に仏を刻んだ熊野磨崖仏、仏像9体を納める真木大堂があります。寺と磨崖仏の3か所は、どれも国東半島の六郷満山にかかわりがあります。
小崎の谷に残る中世の田の形
小崎の田は、国東半島の谷筋の狭い土地を、細かく区切った棚田です。
2010年(平成22年)、小崎の田と集落は「田染荘小崎の農村景観」として、国の重要文化的景観に選ばれました。評価されたのは、14世紀前半から15世紀の耕地と村の基本の形が、いまにほぼ受け継がれていることです。重要文化的景観は、暮らしや農業のなかで形づくられた景色のうち、国がとくに大切なものとして選ぶ文化財です。選ばれた範囲は、田染小崎と田染真中にまたがります。
景色を守るため、小崎では、田を大きな区画に作りかえる工事も、コンクリートの用水路も取り入れませんでした。かわりに設けられたのは、水辺に近づける小川や、散歩道のような農道でした。
2013年(平成25年)5月30日には、国東半島宇佐地域が世界農業遺産に認定されました。認定の名は「クヌギ林とため池がつなぐ国東半島・宇佐の農林水産循環」です。宇佐市・豊後高田市・国東市などを含む、地域の全体が対象です。小崎の田は、その象徴となる場所の一つに数えられます。
宇佐神宮の荘園だった田染
荘園は、貴族や寺社がもっていた私有の田畑のことです。田染の荘園の持ち主は、九州の各地に多くの荘園をもっていた宇佐神宮でした。田染は、そのなかでも「本御荘十八箇所」と呼ばれる18か所の荘園の一つに数えられ、重く見られていました。
田染の荘園は、のちに宇佐神宮の神官の子孫が、田染氏を名のって治めました。それより前の鎌倉時代の後期には、宇佐神宮の支配がゆるんだ時期がありました。関東の御家人(鎌倉幕府に仕えた武士)が、一時この地を手にしたとされます。
谷ごとの郷に開かれた六郷満山
国東半島の寺々は、まとめて六郷満山と呼ばれます。満山は、学問の本山(もとやま)、修行の中山、布教の末山という、寺の3つの群を合わせた呼び名です。六郷は、半島の中央の両子山から四方へのびる谷筋に開けた、6つの郷です。田染も、その郷の一つでした。
国東半島では、神と仏をあわせてまつる、神仏習合の文化が育ったといわれます。もとになったのは、半島に古くからあった山岳信仰の場です。宇佐神宮を中心とする八幡信仰や、天台宗の修験道(山で修行する信仰)が、そこに重なりました。
山岳信仰の場が寺の形をとりはじめたのは、奈良時代の末から平安時代にかけてとされます。仁聞菩薩が718年(養老2年)ごろ、半島の各地で寺を開き、仏を造ったとする伝説もあります。宇佐神宮の側から見た神仏習合は、宇佐神宮の記事にまとめました。次に取り上げる富貴寺・熊野磨崖仏・真木大堂は、どれもこの六郷満山にかかわる寺と仏です。
日本三阿弥陀堂に数えられる富貴寺大堂
富貴寺(ふきじ)は、豊後高田市田染蕗(たしぶふき)にある天台宗の寺です。寺の大堂(おおどう)は、九州地方で最古の遺構(昔の建物で、いまに残るもの)とされるお堂です。宇治の平等院鳳凰堂、平泉の中尊寺金色堂とともに、日本三阿弥陀堂の一つに数えられます。大堂は、1952年(昭和27年)に国宝に指定されました。
大堂の屋根は、四方の面が頂の一点に集まる宝形造で、ピラミッドのような形をしています。
寺は平安時代に、宇佐神宮の大宮司(神職の長)の家の氏寺(一族の寺)として開かれたとされます。大堂の造りも、平安時代の後期の手法を示しています。仁聞菩薩が開いたというのは、寺に伝わる話です。
六郷満山の寺には神仏習合の信仰が根づき、富貴寺にも、宇佐神宮の神々をまつる、六所権現社が建てられていました。キリシタン大名の大友宗麟の時代、天正年間(1573〜1592年)には、多くの寺が壊されました。大堂は、その難をのがれました。大堂の壁画と、本尊の木造阿弥陀如来坐像は、国の重要文化財です。境内は、国の史跡に指定されています。
岩壁に2体が並ぶ熊野磨崖仏
豊後高田市田染平野の切り立った岩壁には、2体の大きな仏が刻まれています。これが熊野磨崖仏(くまのまがいぶつ)です。磨崖仏(自然の岩壁にじかに彫った仏)としては、国内最大級とされます。1955年(昭和30年)に国の史跡、1964年(昭和39年)に国の重要文化財に指定されました。
向かって右の像の、重要文化財としての名は「如来形(にょらいぎょう)像」です。大日如来と呼ばれてきましたが、髪は如来の像に見られる螺髪(粒のように巻いた髪)に彫ってあります。大日如来はふつう、髪を結い、飾りを身につけた菩薩の姿で表されます。本来の名がわからないのは、そのためです。光背(像の後ろの光を表す部分)の上には、梵字(古代インドの文字)の曼荼羅が3つ刻まれています。
向かって左は不動明王の像で、明王でありながら、口もとがほほえんでいるようにも見えます。小石まじりの硬い岩壁に彫られたため、彫りはやや浅めです。両わきには、不動明王に従う2人の童子の像のあとが残ります。
磨崖仏の前へ続く自然石の石段は、鬼が一晩で積み上げたと伝わります。磨崖仏そのものも、仁聞菩薩が造ったと伝えられています。
伝乗寺の仏9体を納める真木大堂
真木大堂(まきおおどう)は、豊後高田市田染真木にある寺です。収蔵庫に納められた仏像9体は、国の重要文化財です。9体の内わけは、阿弥陀如来坐像と大威徳明王像が1体ずつ、四天王立像が4体、不動明王及び二童子像が3体です。大威徳明王像は、6つの顔、6本の腕、6本の足をもち、牛の背にまたがる姿です。
真木大堂は、馬城山伝乗寺(まきさんでんじょうじ)の堂の一つだったと伝わります。伝乗寺は、六郷満山の本山の群に数えられた本寺(下に多くの寺を従えた寺)の一つでした。火事で焼けたことから、「幻の大寺」とされます。仏像は、伝乗寺のそれぞれの堂に伝わったものです。寺坊(寺に属する僧の住まい)が衰えるにつれて、一か所に集められたといわれます。
出かける前に
小崎に残る中世の田と宇佐神宮の荘園の歩み、六郷満山につながる富貴寺大堂・熊野磨崖仏・真木大堂をたどりました。この記事は2026年10月に書きました。寺や磨崖仏の公開のようすは変わることがあるので、出かける前に、豊後高田市の観光サイトの案内で確かめてください。
よくある質問
- 田染荘は、単独で世界農業遺産に認定されたのですか。
- 2013年(平成25年)の認定は、国東半島宇佐地域の全体に対するものです。小崎の田は、その象徴となる場所の一つです。
- 六郷満山とは、何を指す呼び名ですか。
- 国東半島の6つの郷(六郷)と、本山・中山・末山に分かれた寺々(満山)を合わせた呼び名です。宇佐神宮の八幡信仰と天台宗の修験道が重なり、神仏習合の文化が育ったといわれます。
- 富貴寺大堂は、どんな建物ですか。
- 1952年(昭和27年)に国宝に指定された阿弥陀堂です。九州地方で最古の遺構とされ、日本三阿弥陀堂の一つに数えられます。
- 熊野磨崖仏の2体は、何の仏ですか。
- 向かって左が不動明王、右が大日如来と呼ばれてきた像です。右の像は髪が螺髪で本来の名がわからず、重要文化財としての名は「如来形(にょらいぎょう)像」です。




