2026年10月18日
長湯温泉 炭酸泉の湯と風土記・岡藩の御茶屋・御前湯の歩み
大分県竹田市直入町の長湯温泉は、炭酸泉で知られる芹川沿いの温泉地です。『豊後国風土記』の記述、岡藩の御茶屋と御前湯、九州で初めての源泉かけ流しの宣言まで、湯の歩みをたどります。
長湯温泉(ながゆおんせん)は、大分県竹田市直入町の、芹川のほとりに広がる温泉地です。川の流れに沿って温泉館が建ち、まわりには田畑の広がる山里の風景が続きます。湯は、炭酸ガスの溶けこんだ炭酸泉で知られます。ここでは、奈良時代の風土記に残る記述から、岡藩の御茶屋と御前湯、炭酸泉の温泉地としての歩みまでをたどります。
長湯温泉の始まりと風土記
長湯の湯の歩みは、奈良時代の記録までさかのぼります。その記録が『豊後国風土記』で、この湯を指すとみられる記述が残っています。直入町は、昔の国の分け方では豊後国にあたります。風土記は、国ごとに土地のようすや産物、言い伝えを書きとめた書物です。
記録より前の紀元前から、温泉として利用されていたとも伝わります。長湯は古くから、湯治場でもありました。湯治は、温泉地に何日もとどまって、湯につかることをいいます。
詩人の野口雨情は、この湯の里を「久住山から夜来る雨は、長湯ぬらしに降るのやら」と詠みました。久住山から夜に来る雨は、長湯をぬらそうと降るのだろうか、と歌っています。1991年の大分県の広報誌は、この歌を引いて、長湯を自然に囲まれた山の湯の温泉場と紹介しました。
岡藩の御茶屋と新湯
御前湯の名は、江戸時代の岡藩がつくった湯に始まります。1706年(宝永3年)8月、岡藩主の中川家が湯に入って泊まるための御茶屋が、長湯に建てられました。御茶屋は、殿様が出かけた先で休んだり泊まったりする屋敷です。この御茶屋には、温泉が引きこまれていました。
1781年(安永10年)には、岡藩の普請で新湯がつくられ、御前湯とも呼ばれました。普請は、建物や土木の工事のことです。岡藩と岡城の歩みは、岡城跡の記事にまとめました。
御前湯の洋館とドイツとの縁
芹川沿いの温泉館のうち、下流に建つのが御前湯(ごぜんゆ)で、中流にはラムネ温泉館があります。御前湯は、岡藩の新湯と同じ名をもつ日帰りの温泉館です。ナトリウムを多く含むその湯は、江戸時代から伝わる名湯とされます。
御前湯の洋館風の建物は、旧直入町(いまの竹田市直入町)が建てたものです。その特徴のある外観から、建物は長湯のシンボルとされます。旧直入町は、炭酸泉で知られるドイツのバートクロツィンゲン市と、姉妹都市の縁を結びました。
炭酸泉の湯と泡のつき方
炭酸泉は、炭酸ガス(二酸化炭素)が溶けこんだ温泉です。長湯の泉質には、色のない透きとおった二酸化炭素泉と、源泉ごとに色の違う炭酸水素塩泉があります。二酸化炭素泉は炭酸ガスを、炭酸水素塩泉は炭酸水素イオンを、それぞれ多く含む湯です。
湯に入ると肌に泡がつくことは、長湯の湯の特徴に挙げられます。ただ、どの湯にも泡がつくわけではありません。泡のつき方は、溶けている炭酸ガスの濃さだけでなく、湯の温度や、ほかに含まれる成分でも変わるからです。炭酸ガスは、湯の温度が高いほど溶けにくくなります。源泉ごとに温度が違う長湯では、炭酸ガスの濃さも源泉によって大きく変わります。
源泉かけ流しの宣言と国民保養温泉地
2006年(平成18年)5月24日、長湯は九州で初めて、源泉かけ流しを宣言しました。源泉かけ流しは、わき出た湯を湯船に注ぎ、あふれた湯をくり返し使わずに流す入れ方です。
長湯は1978年(昭和53年)3月31日に、国民保養温泉地に指定されました。国民保養温泉地は、国が指定する温泉の保養地です。2015年(平成27年)5月1日には、ほかの二つの温泉地を加えた「竹田温泉群」として、指定の地域が改められました。
出かける前に
風土記の記述と岡藩の新湯から、御前湯の洋館、炭酸泉の湯と源泉かけ流しの宣言までをたどりました。この記事は2026年10月に書きました。温泉館のようすは変わることがあるので、出かける前に、竹田市観光ツーリズム協会の案内で確かめてください。
よくある質問
- 長湯温泉はどこにある、どんな温泉地ですか。
- 大分県竹田市直入町の、芹川のほとりに広がる温泉地です。炭酸ガスの溶けこんだ炭酸泉で知られます。
- 御前湯と岡藩には、どんなつながりがありますか。
- 1781年(安永10年)に、岡藩の普請でつくられた新湯が、御前湯とも呼ばれました。芹川の下流に建つ長湯温泉療養文化館「御前湯」は、この新湯と同じ名をもつ温泉館です。
- 長湯の炭酸泉に、肌に泡がつく湯とつかない湯があるのはなぜですか。
- 炭酸ガスは水の温度が高いほど溶けにくく、源泉ごとに濃さが変わるからです。泡のつき方は、湯の温度やほかの成分でも変わります。
- 長湯温泉が源泉かけ流しを宣言したのはいつですか。
- 2006年(平成18年)5月24日です。九州で初めての源泉かけ流しの宣言でした。




