
2026年10月18日
昭和の町 豊後高田の商店街で外壁を外して昭和の姿に戻した町並み
大分県豊後高田市の昭和の町は、さびれた商店街の古い建物を生かした町並みです。外壁を外して昔の姿に戻した店の正面、店の宝と商人を伝える4つの再生、アジア都市景観賞までの歩みをたどります。
昭和の町は、大分県豊後高田市の中心部で、8つの商店街に広がる町並みです。通りの総延長は約550mで、建ったころの正面の姿に戻した古い店の建物が、点々と見られます。町づくりは2001年(平成13年)に始まり、商店街がもっともにぎわった昭和30年代の活気を、取り戻すことを目指しました。
昭和の姿で残った8つの商店街
豊後高田市は、国東半島の西側にある市です。その中心市街地の8つの商店街は、昭和の姿のまま、時代に取り残されていました。町づくりの前には、「人通りよりも犬や猫の方が多い」とまでいわれていました。
中心市街地のにぎわいがいちばん高まったのは、昭和30年代です。そのころの町には私鉄の終点があり、国東半島一円をめぐるバス路線の起点でもありました。鉄道とバスの乗り継ぎの場として、人が自然と集まるにぎやかな場所でした。
人の流れが変わったのは、昭和40年代です。鉄道がなくなり、車で出かける人が増えて、人の足が商店街から遠のきました。平成に入ると、郊外に大型店ができ、中心市街地は急に衰えていきました。
商店街そのものを遺産と見た町づくり
町づくりの手がかりになったのは、目の前にある商店街そのものでした。さびれたために建て替えが進まず、昔ながらの商店街が残りました。地元の人たちは、その残った商店街こそが、町の遺産だと考えたのです。
この答えに行き着くまでには、長い下調べがありました。1992年(平成4年)には、広告代理店が町の将来の構想をまとめました。けれども町の個性が表れておらず、商人にも市民にも受け入れられませんでした。そのあと、地元の人たちは、町と商店街の歴史を自分たちで調べ始めました。
それからの5年間で、忘れられていた町の個性を掘り起こしました。町並みを観光に生かす道も探りましたが、近世の城下町や近代化遺産の町並みでは、ほかの町にかなわないと見ました。近代化遺産は、工場や橋など、日本の近代化を支えた建物や施設のことです。答えが出たあとも、さらに2年をかけて、全国の「昭和」を生かした町の例を調べ、各地を見て回りました。
テーマに選んだのは、昭和30年代です。商店街がもっとも華やかで元気だった、最後の時代にあたります。取り組みの柱には、建築・歴史・商品・商人の「昭和の4つの再生」を置きました。4つの再生を形にした店は、「昭和の店」と呼ばれます。
外壁を外して昔の姿に戻した建物
4つの再生の一つ目は、建築の再生です。建物の正面に手を入れ、アルミ製の建具を木製に戻し、看板も木やブリキの「昭和の看板」に改めました。どれも、その建物が建ったころの、おもむきに近づけるための改修です。
改修の出発点は、店の正面にかぶせてあった外壁を外すことでした。古い建物で商いを続けてきた店の多くは、昭和30年代までに建った建物の、外壁だけを新しくしていました。パラペットと呼ばれるその外壁を外せば、建ったころの店の正面が、そのまま出てきます。
考え方の根にあるのは、ないものを求めず、あるものを生かすことです。町並みのために新しい建物を建てたのではなく、商いを続けてきた建物を、町並みの主役にしました。
古い建物を生かした町並みですが、国や県の文化財の指定はありません。歴史的な町並みを守るために国が選ぶ、重要伝統的建造物群保存地区でもありません。商店街の店が、それぞれの建物を昔の姿に戻して、形づくってきた町並みです。
建物を生かす考えは、商店街の近くの倉庫にも向けられました。2002年(平成14年)に町の拠点施設「昭和ロマン蔵」となったのは、昭和10年前後に建った農業倉庫です。この倉庫も時代に取り残され、建ったときの姿のまま残っていました。
店の宝と昭和の商人を伝える再生
4つの再生の残りの三つは、店先の品と、店に立つ人にかかわります。歴史の再生にあたるのが、「一店一宝」です。店に代々伝わる珍しい道具や、かつて商いに使った道具を、店先に出して見てもらいます。博物館には並ばなくても、その店の歩みを物語る昭和のお宝として扱うものです。
商品の再生は「一店一品」で、その店ならではの、昔から受け継いだ品を店で売ります。商人の再生は、客と目を交わし、心を通わせて商う「昭和の商人」を、守り伝えることです。
町が伝えようとしているのは、昭和30年代の人と人とのつながりでもあります。そのつながりを、訪れた人に語ってきたのが町の案内人です。高度経済成長で、暮らしは豊かで便利になりました。その裏で、近所におかずを分けたり、隣近所で助け合ったりする関係は薄れていきました。
アジア都市景観賞と20年の歩み
この町並みの取り組みは、多くの賞を受けてきました。国際的に権威のある賞として初めて受けたのが、2017年の「アジア都市景観賞」です。アジアの人々が幸せに暮らせる環境を目指し、ほかの都市の手本になる、優れた景観や取り組みをたたえる賞です。
町づくりは、2021年(令和3年)に20周年を迎えました。その節目に、町のブランドの考え方として掲げられた言葉が「恩送り」です。訪れた人や、町を築き育てた人への感謝を込めた言葉です。あわせて、次の20年に向けて、町のブランドを組み立て直す方針も示されました。訪れる人の年齢層や求めるものが、年ごとに変わってきたためです。
出かける前に
商店街の移り変わりと町づくりの考え、外壁を外して昔の姿に戻した建物、4つの再生、賞と20年の歩みをたどりました。この記事は2026年10月に書きました。町並みや建物のようすは変わることがあるので、出かける前に、豊後高田市の観光の案内で確かめてください。
よくある質問
- 昭和の町はどこにありますか。
- 大分県豊後高田市の中心部にある、8つの商店街に広がる町並みです。通りの総延長は約550mです。
- 昭和の町の町づくりは、いつ、何のために始まったのですか。
- 2001年(平成13年)に始まりました。さびれた商店街に、もっともにぎわった昭和30年代の活気を取り戻すことが目的でした。
- 昭和の町の建物は、新しく建てたものですか。
- 新しく建てたものではありません。古い店の建物の正面にかぶせていた外壁(パラペット)を外し、建具や看板を昔の形に戻して、建ったころの姿に近づけました。
- 昭和の町は文化財に指定されていますか。
- 国や県の文化財の指定はなく、重要伝統的建造物群保存地区にも選ばれていません。2017年に「アジア都市景観賞」を受けています。




